「楽しみ」は身体の隅々から発生している?
先日、とある病気で、人生初めて全身麻酔で手術を受けました(そのため先月は連載をお休みさせていただきました、すみません)。
少しの間入院して、手術して、術後検査を受けて退院。
いま、何より鮮明な記憶になっているのが、手術直前はご飯を食べちゃいけないということです。
正直いうと病院食はすごくおいしい!というものではなかったのですが、やることのない入院中において「食」は、機会があればずっと見たいと思っていた「陸王」をNetflixで一気見することと並んで、「2大楽しみなこと」だっただけに、ご飯が食べられない絶望たるや、そりゃあもう。
いつも仕事してるときは、1日ご飯食べてないことに気づかなかった、なんてザラなのに、入院中はなんでこんなに「食べる」に執着したんだろうな。
そして断食後のおかゆは、なんであんなに嬉しかったんだろう。
前日と手術日、たかが2日ご飯食べなかっただけなのに。
そんな(ほぼ人生初めての)入院生活を送っていたわけですが、それを経て私がふと思ったのは、「私に起こるすべてのことは、身体に起因している」という、アタリマエなことでした。
身体の一部に支障が出て治療をし、「ご飯を食べてはいけない」という指示の結果として「私のお腹が空く」ということを予見しての絶望。
はたまた、ドラマの情報を視覚聴覚的に捉えたり、食べ物の味という情報を舌で感じたりしてとっても楽しい、嬉しい。
そんなことに、ずーっと向き合い続けていた入院生活でした。
ようは、ヒマすぎたんだろうなあ。
肉体を機械にしちゃえばいいじゃない
実は私は、入院のずっと前、病気の治療に手術が必要になったと判明した時に、真逆とも言えることを考えていたんです。
それは、「人間は肉体という制限があるから行動も制限されるのであれば、肉体から解放されちゃえばもっといろんなことができるのではないだろうか」ということです。
入院して手術をしなくてはいけないので、それまで必死で準備をしてきた直近のスケジュールはすべてキャンセルになるし、そもそも病気によってこれまで当たり前だった肉体的機能が当たり前ではなくなりました。
もっというと、肉体の耐用年数のことを寿命と言っていいのであれば、たとえば極端にいうと人間の体が肉体ではなく機械化してしまえば耐用年数が増えるかもしないし、壊れたパーツをユニットごと簡単に交換ができるのかもしれない。
そうなると、時間に対する感覚も全く変わってくるのかな、この、大きな病院アルアルの、ながーい待ち時間と一瞬の診察時間のジレンマなんて全く気にならなくなるのかな、なんていうSF映画にでてきそうなことをぼーっと考えていました。
もしかすると社会における時間短縮や効率化などということへの重要度が小さくなって、もっとゆったり時間を使いながらクリエイティブに集中できる世の中になるではないですか!なーんて。
でもこのあとの入院ですぐに、僕のあらゆる衝動は肉体と一体であり、この「身体ロボット交換化計画」の考えの浅はかさを痛感させられるとは(でももしかすると、科学技術が、肉体と同等の感覚機能を持つ肉体ロボットを実現する日も近いんだろうなあ、とも思います)。
そういう意味で、ここ数ヶ月でとても刺激的な時間を過ごしておりました(笑)。
日々の小さな「〜したい」をたくさん作りたい
さて、長い前振りとなりましたが、今回私が取り上げたいのは、「〜したい」という衝動がどこからくるのか、ということです。
これまでの記事でも取り上げてきたように、すべての主体的な活動には、学習者自身が心底「〜したい」と思うことが不可欠であり、自分らしい「〜したい」という気持ちには「美意識」が大きく関係している、と私は考えています。
そして、それらは「僕の夢はお医者さんになって世界の人々を助けることです!」という「決意」のような大きな「〜したい」から、日々無意識に体が動いてしまうきっかけとなるような、言語化しない小さな「〜したい」まで様々存在していて、私はこの「小さな『〜したい』」の積み重ねこそが、どんどん自分らしい選択を形成していき、「大きな『〜したい』」に繋がってるのではないかという点でとても大事だと考えています。
今回、私自身に起こった病気の治療という一連の出来事で、この「小さな『〜したい』」が発生しているのは、やはりどうも「肉体の経験」と、精神作用のような内的な反応が大きく関係していそうだなと、あらためて考えるに至りました。
科学館で、本気で、アート講座を開催するということ

私が勤務している板橋区立教育科学館では日々多くのワークショップを実施していますが、今回「STEAM・探究」というカテゴリーの扱いで、日本文教出版の図工の教科書の著者でもある山添Joseph勇さんにアート教室を毎月開催していただくことになりました。
その名も「深沢アート研究所・板橋出張所」。
ちなみにこのカテゴリーでは、これまではこのブログでも多く取り上げてきた当館のプログラミング関連講座が主たる活動でした。
特に最近は、生成AI関連の活動も実施するようになりましたが(これについてはまた今度ご紹介できれば)、これらの活動を深めようとすればするほど、必ず「自分がどうしたいと思っているのか」が重要になってくるということがありました。
テクノロジーやAIと関わることで、逆に作者や鑑賞者の、人間的な部分が鮮明に浮かびあがってきているような感じです。
そこで、「やはり」というべきか、人間的な部分を扱う講座を、プログラミング講座と並行して開催する必要性を強く感じ、山添さんのお力をお借りする運びとなりました。
記念すべき1回目はスライムで描き、2回目はドリルでひたすら穴を空けるようです。
1回目は先日大好評のうちに終了し、2回目もとっても楽しみ。
ちなみにこの講座、申し込み開始すると、数分で満席になっちゃっておりまして、早くもプラチナチケット化しているので、回数を増やしたいなーと考えているところ。
うーん、おそるべし、さすがの山添パワー..。.
ということで今後、科学館で実施するアート講座として、美術館などのアート界隈ではない私たちがどのようにアートを捉え、使っているのか、テクノロジーやAIを背景とした視点でどのような効果をもたらすのか、こちらでご報告していければと思っています。
★板橋区立教育科学館の取組みは、板橋区立教育科学館のサイトhttps://www.itbs-sem.jp/でご確認いただけます。
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