前回の記事では、「ままならなさ」というノイズがいかに人間のOSを再起動させるかという、私が図工美術の根底にあるのではないかと考えていることについて書きました。
記号化され、最適化されたシステムという世の中に、生々しい身体的な「体感」を伴うノンフィクションをいかに社会実装していくか。私たちが今、板橋区で進めている「創造都市」という挑戦もまた同じです。文字で示された「宣言」という上位概念を、区民や世界が「実感」できる生態系へと落とし込んでいく。5カ年プロジェクトという長い長い格闘の序章となる壮大な実験【いたばしブリッヂング】が、この8月に動き出します。
https://www.city-itabashi-sdgs.jp/ipdfestival2026/
私たちはこの企画を、「創造都市・いたばし」が板橋の全方位に具体的に根付きはじめるための、いわば「文化の循環装置」を、図工美術の手法を広く援用しながら、現代的な解釈で開発しているつもりでいます。
土地のDNAに潜む「オープンイノベーション」の顕在化
もともと、板橋という土地には独自のフォーク・タクソノミー(土着的な分類・文化)とも言えるDNAがあります。古くは旧・中山道の流通の要所として多様な人やモノを受け入れ、近代以降は理研や旧・陸軍火薬製造所に象徴されるような「まだ見ぬ何かを創り出す場所」が宿命的に存在していました。
多様な外部環境と紐付きながら、試行錯誤を繰り返し、新しい価値を創出していくという、この土地に根付いてきた「オープンイノベーションの精神性」は、今なお区内に存在する多くの印刷・製本をはじめとした産業の拠点としてだけでなく、学校や人々の家庭まで、連綿と受け継がれているように思います。
つまり、情報科学や社会デザインの分野でやっと今になってその重要性が叫ばれ始めた「クリエイティブを構成する動的な要素」は、板橋にはすでに文化として深く浸透していると言えるのです。これを顕在化し、都市全体を一つの巨大な「実験室」や「図工室」と捉えてみてはどうか。そのための最初のブースターとして、教育科学館を中心に、3つの機能が同時多発的に起動します。
「偶然」「玄関」「攪拌」「噴射」が駆動する文化の循環系
本プロジェクトは、都市スケールでの「アフェクティブ(情動的)・ネットワーク」を構築するための3つのアプローチから成立しています。
① セカイが板橋に入ってくる「板橋の玄関」機能
分野にとらわれず、世界の先端を行くイノベーターたちを板橋に呼び込み続けます。今年度はその第一歩として、インドネシアのバンドン工科大学や武蔵野美術大学、そして多様な分野で活躍する美術家や研究者などが集合します。
② 板橋とセカイが影響し合う「文化攪拌(かくはん)」機能
呼び込んだイノベーターを、単にステージに立たせるような消費的役割には留めません。地元の事業者や研究所、学校、そして子どもたちと具体的に繋ぎます。
たとえば
- 「バンドン工科大&武蔵野美術大学×板橋」による、デザインリサーチの社会実装の実験
- 「美術家(深澤孝史さん)×区内就労支援関係施設」による、「個人が持つ固有の宇宙が共存すること」を検証し、板橋区が標榜する「やさしくつながる」ことを深掘りするリサーチ・アートプロジェクト
- 「アーティスト(百瀬莞那さん)×区内小中高生」による、人間だけではない、動物などの社会参画者の存在を意識した未来デザインのリサーチ
など。
異なるOSが混じり合うことによる板橋固有の文化の掘り起こしをきっかけとして、新たな文化的創発(エマージェンス)をその場で生み出していきます。
③ 人や知が区全域に拡散する「文化噴射」機能
生み出された新規事業やプロトタイプの一端を、科学館での展覧会や体験イベントとして広く公開します。また同時に、それらはデジタルアーカイブされ、連携施設や学校をはじめとする板橋区内各所に存在する施設をサテライトとして、区全体の地域と双方向に循環する社会教育システムの構築実験も行います。
AI時代におけるエージェンシーを考えるために
この夏、板橋のあちこちで目撃されることになるのは、予定調和なエンターテインメントではありません。前回の記事で私が書いた、コントロールできない「ままならぬ存在」としての他者や物質と出会い、そこで生じる認知的不協和を(きっと泥臭く、生々しく)乗り越えながら、自らの手で「意味の生成(センスメイキング)」を行っていくための実験の現場です。
イベントが終わったら関係も消える、という消費的な構造にならないよう、科学館の中には、来館者がいつでもアクセスできる常設のサードプレイス「いたばしブリッヂング“スクエア”」などの試みも計画中。「あのとき出会ったあの場所に、いつでも戻れる」という持続的なアタッチメント(=愛着)こそが、変化し続ける新しい価値をこの地に定着させるだろうと考えるからです。
生成AIがあらゆる「最適解」を出力する時代において、人間の尊厳(エージェンシー)とはどこに宿るのか。その大きな問いに対する、板橋らしい実践的な回答が、この8月、子どもたちの歓声と、職人たちの身体的技術、そして世界の知性が混ざり合う現場から立ち上がります。正解のない海へと、自らの意志で漂流を始めるその最初の瞬間を、ぜひ目撃しに来てください。
★板橋区立教育科学館の取組みは、板橋区立教育科学館のサイトhttps://www.itbs-sem.jp/でご確認いただけます。
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