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第二六回 パブリックアート探訪記 No.04 立川編(後編)

 

 

参加できる作品

 

 前回に引き続き東京都立川市を散策。今回は、3つのポイントから「ファーレ立川」をそぞろみる。そもそも、ここにある作品のほとんどは、ただ目で見るだけではなく、直接触れることができる。「機能(ファンクション)を美術(フィクション)に」というコンセプトの通り、ベンチなどのストリートファニチャーも作品になっている。

ニキ・ド・サンファル《会話》
ニキ・ド・サンファル《会話》
ヴィト・アコンチの車止め(ベンチ)
ヴィト・アコンチの車止め(ベンチ)

 ニキ・ド・サンファルのベンチは、《会話》というタイトルにもあらわれているように、座面が互い違いに設けられており、向かい合って話しやすい。原色の彩色も相まってまちの真ん中で楽しげな雰囲気を醸し出す。かと思えば、ヴィト・アコンチによる輪切りされた車型のベンチはなかなかに座りにくい。これ自体が車止めになっている点も含めてユーモアたっぷりだ。

ホセイン・ヴァラマネシュ《きみはただここにすわっていて。ぼくが見張っていてあげるから》
ホセイン・ヴァラマネシュ《きみはただここにすわっていて。ぼくが見張っていてあげるから》

同様に、車止めの機能を担っている作品として、ホセイン・ヴァラマネシュによる《きみはただここにすわっていて。ぼくが見張っていてあげるから》も挙げられる。まちなかに唐突にあらわれる一脚の椅子。その傍らに置かれた一足のスリッパからは見えざる人物の影がのびている。探訪中にも老紳士がこの椅子に腰かけていたのだが、何やら演劇が始まりそうな一幕であった。


フェリーチェ・ヴァリーニ《屋上の円》
フェリーチェ・ヴァリーニ《屋上の円》

 あるいは、フェリーチェ・ヴァリーニの作品はまた別の側面からわれわれの参加を促す。ビルの壁面に描かれた歪んだ曲線や途切れた線。それらは一見すると意味のない記号のようだが、ある地点から眺めると赤い円が浮かび上がる。普段は意識することのない都市の凹凸が可視化されていく。移動する人の視点を前提とした参加型の作品。別の場所にももう一点あるので、ぜひ現地でお楽しみいただきたい。


 

 

まちに擬態した作品

 

 「ファーレ立川」には、モニュメントとして分かりやすく示されたものもあれば、どこに作品があるのか見つからずに戸惑ってしまうものもある。先ほどのフェリーチェ・ヴァリーニもその一例。ここでは、まちに溶け込んだ作品を「擬態」というキーワードから探っていきたい。

写真①
写真①

 例えば、写真①にはどのような「作品」が写りこんでいるのだろうか。遠くに見えるモノレールが立川らしい都市風景を生み出しているものの、作品らしきオブジェは見当たらない。ここで視点を下げて、足元のタイルに注目してみると、白いタイルの中に黒いタイルが不規則な列をなしていることに気付く。実は、このラインはバーコードになっている。

 文字通り《バーコード・ブリッジ》と名付けられたこの作品は、坂口寛敏によって構想された。アプリケーション「FARETナビ」によれば、「これはもともとの建築予算だけでできた作品」らしい。都市を構成する素材にさりげなく作品を潜り込ませる手法は、パブリックなアートの在り方を考えさせる。


写真②
写真②

 次に写真②の場合はどうだろうか。奥の方に見えるアンモナイトのようなものも気になるところだが、こちらは看板の一部(一種のパブリックデコレーションと言えようか)。この写真の注目ポイントは、街路樹の根本を取り囲む金属部分である。よく見ると、何かのレリーフが施されていることが分かる。 

 ぐるりとまわってみると、トンボのように見えていたものがいつの間にか飛行機に変形し、そして再びトンボへと姿を変える。長澤伸穂による《トンボヒコーキのメッセージ》と名付けられたこの作品では、かつて立川飛行場のあった地域の記憶がひっそりと地面に刻み込まれている。

 

長澤伸穂《トンボヒコーキのメッセージ》
長澤伸穂《トンボヒコーキのメッセージ》

 

 

時とともに変化する作品

 

スティーヴン・アントナコスのネオン作品が光る立川の夕暮れ
スティーヴン・アントナコスのネオン作品が光る立川の夕暮れ

 一日中歩き続けて日が暮れてくると、人工の光が街を照らし始める。それに伴い、スティーヴン・アントナコスによるネオンの作品が、暗くなったまちにリズムを刻む。マーティン・キッペンベルガーがつくった案山子のようなオブジェも、頭部(?)が赤く発光している。街灯に擬態したその姿は、どこか付喪神のよう。まさに「機能(ファンクション)を美術(フィクション)に」を体現している。


マーティン・キッペンベルガーの街灯(昼)
マーティン・キッペンベルガーの街灯(昼)
マーティン・キッペンベルガーの街灯(夜)
マーティン・キッペンベルガーの街灯(夜)

 このように「時間」もまた鑑賞のポイントとなってくる。基本的に、パブリックアート(特に野外彫刻)は、一度設置されると数十年にわたってそこにあり続ける。完成からもうすぐ30年を迎える「ファーレ立川」の作品群も、もはやまちの風景の一部をなしている。言わば、不動産としての美術だ。

 もちろん、それらを維持するためには相応のメンテナンスも必要となる。今回、約10年ぶりに立川を歩いてみて、改めて気づくこともあった。フェリーチェ・ヴァリーニの赤い円が以前よりも薄くなっていたり、調整中の作品があったり、経年による変化を感じさせるものもある。ここで一つの問いが浮かび上がる。果たして、「ファーレ立川」はいつまであり続けることができるのだろうか。

河口龍夫《関係-未来・2155年》
河口龍夫《関係-未来・2155年》

 最後に、この「あり続ける」ということを可視化する試みに焦点を当てる。河口龍夫による《関係-未来・2132年》《関係-未来・2155年》《関係-未来・2157年》と題された一連の作品は、タイトルに示された年に予定される幹の太さをあらわした金属の輪が三本の街路樹にはめられている。

 早くとも2132年まであと110年。一朝一夕に変化は見えないが、着々と成長を続ける年月には、生々流転を続ける都市景観と自然の時間とが象徴的に対比されている。われわれはその完成を見届けることはできないが、どこかパブリックアートの刹那を感じた瞬間でもあった。

 


ファーレ立川:https://www.faretart.jp/

 No.03(立川編 前編)<パブリックアート探訪記>No.05