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第四八回 パブリックアート探訪記 No.06 仙台編(後編)

 

前編はこちらから

 

 

いろいろなモニュメント

 

 今回の「図工のあるまち」も、前回に引き続き宮城県仙台市にてパブリックアートを訪ねてそぞろ歩き。伊達政宗の騎馬像がある城跡をくだりながら市街地へと向かう道中、仙台市博物館の周辺でも多くの銅像と出合った。例えば、1958年から26年にわたり仙台市長を務めた島野武の銅像(1987年)は、文字通りパブリックな存在と言えようか。

「島野武氏之像」1987年
「島野武氏之像」1987年

 あるいは、1904年から1906年にかけて、仙台医学専門学校(東北大学医学部の前身)で学んだ魯迅も顕彰の対象となっている。1960年に建てられた「魯迅の碑」には、碑文をしたためた内田道夫(東北大学教授)、中国漢代の古碑にならい鉾型の碑を設計した飯田須賀斯(東北大学教授)に加え、レリーフは仙台在住の彫刻家である翁朝盛が手掛けた。その碑文には「若き日の留学を記念し、敬慕する人人の手で碑をたてて、偉大なるおもかげを永遠に伝える」と刻まれ、記念碑としての永続性が強調される。

「魯迅の碑」1960年
「魯迅の碑」1960年

 さらに、少し進んで五色沼のほとりには、日本フィギュアスケート発祥の地を記念するモニュメントが設置されていた。銘板によれば、明治時代にこの沼でスケートを始めたことをきっかけに、各地へ普及していったとのこと。翁ひろみによってつくられた《無限の軌跡》(1995年)は、二人の人物を軽やかに躍動感のある姿で表現している。ちなみに、翁ひろみは先ほどの翁朝盛と親子の関係にあり、仙台という地域における彫刻家の系譜の一端を辿ることもできる。

翁ひろみ《無限の軌跡》1995年
翁ひろみ《無限の軌跡》1995年

 

 

彫刻のある公園で

 

 一方で、今日では、必ずしもモニュメントを志向しないパブリックアートも数多く生み出されている。仙台市では、1977(昭和52)年度に市制施行88周年を記念して彫刻のあるまちづくり事業が始まった。これは、特定の誰か(何か)を記念するのではなく、「街の緑の空間に彫刻を配置し、芸術性豊かで文化の薫るまちづくりを推進すること」に主たる目的がある[i]。言わば、まちの風景と調和し、その一部を構成する野外彫刻の台頭である。 

 城跡を背に、広瀬川に架かる大橋を渡って左手に広がる西公園にも、この事業の一環で設置された作品がある。朝倉響子による《ふたり》(1983年)もその一つ。ベンチのようなものに背中合わせに座る二人の人物。遠くからそのシルエットを望めば、あたかもそこに誰かがいるようでもある。他方、雨宮敬子の《杜に聴く》(1985年)は二人の裸婦から構成されており、公園の中に異質な空間を浮かび上がらせる。

 

朝倉響子《ふたり》1983年
朝倉響子《ふたり》1983年
雨宮敬子《杜に聴く》1985年
雨宮敬子《杜に聴く》1985年

 ちなみに、この公園には件の事業とは異なる文脈で設置された野外彫刻もある。村田勝四郎による《牧神の午後》(1958年)がそれである。これは、仙台出身のバレエ舞踊家、東勇作をモデルとしたものであり、舞台の一幕を切り取ったような特徴的なポーズをしている。彫刻の作者よりも、モデルに焦点が当てられているという点において、記念碑的性格が強い。ちなみに、この彫刻ははじめからここにあったわけではない。2014年に福岡RKB毎日放送より日本バレエ協会を通して仙台市に寄贈されたとのことである。

村田勝四郎《牧神の午後》1958年
村田勝四郎《牧神の午後》1958年

 この西公園からつながる定禅寺通にも、西側からヴェナンツォ・クロチェッティの《水浴の女》(1982年)、ジャコモ・マンズーの《オデュッセウス》(1986年)、エミリオ・グレコの《夏の思い出》(1979年)、の三点が並ぶ。いずれもイタリアの具象彫刻の作家によるものである。ちょうど青葉の季節でもあったため、ブロンズの深い緑と木々の若い緑のコントラストが印象的だ。

ヴェナンツォ・クロチェッティ《水浴の女》1982年
ヴェナンツォ・クロチェッティ《水浴の女》1982年
ジャコモ・マンズー《オデュッセウス》1986年
ジャコモ・マンズー《オデュッセウス》1986年
エミリオ・グレコ《夏の思い出》1979年
エミリオ・グレコ《夏の思い出》1979年

 

 定禅寺通りを歩いた先にある勾当台公園も見所たっぷり。そもそも、このプロジェクトは12か年計画として構想されたのだが、第1期【1977(昭和52)年度~1989(平成元)年度】が完了した後、当時のふるさと創生事業も活用しながら第2期【1990(平成2)年度~2001(平成13)年度】が始まった。第1期はそのすべてが具象彫刻であったのに対して、第2期では抽象彫刻も見られる。

 勾当台公園には、第1期と第2期いずれの彫刻も設置されている。一色邦彦による《季の杜に》(1989年)は、第1期の最後に設置された作品である。ちなみに、この作者は前回の記事(パブリックアート探訪記 仙台編 前編)で最初に目にした仙台駅ホームにあるレリーフの作者でもある。さらに、この彫刻の制作費の一部として、仙台ライオンズクラブが「金壱阡萬円」を寄贈した旨も銘板で埋め込まれている。円形花壇に設置された吾妻兼治郎の《時の広場》(1997年)は、第2期ならではの抽象的な形態をしている。

一色邦彦《季の杜に》1989年
一色邦彦《季の杜に》1989年
吾妻兼治郎《時の広場》1997年
吾妻兼治郎《時の広場》1997年

 もとより、県庁や市役所が密集するこの一帯には、この事業が始まる前から様々な思惑を背負った野外彫刻が交錯していた。あたかも公園のシンボルのようにそびえたつ高い台座の上には翁朝盛による《平和》をテーマとする母子像。これは、県内の児童や生徒、職員および県民有志の募金によって1959年に建てられたものらしい。1961年には仙台青年会議所の創立十周年を記念して、阿部正基の作によって《のぞみ》と題した裸婦像がつくられた。いずれも戦後のパブリックアートにしばしば見られる「概念彫刻」に位置づけられようか(「概念彫刻」についてはパブリックアート探訪記No.02を参照 )。

翁朝盛《平和》1959年
翁朝盛《平和》1959年
阿部正基《のぞみ》1961年
阿部正基《のぞみ》1961年

 

 

パブリックアートのうつろい

 

 勾当台公園近くの錦町公園では、思いがけず柳原義達の作品にも遭遇。ひとつは《集う―レジャーセンターの思い出》と題された群像。1952年頃に制作されたこのレリーフは、かつて仙台市レジャーセンターの正面に取り付けられていたらしい。建物は老朽化のために解体されたが、2002年に修復を経て、跡地につくられたこの公園にて除幕された。同年には、《和む―公会堂の思い出》と題された人物像もとなりあって設置されている。こちらはかつて仙台公会堂の外壁に設置されていたものであり、1950年頃に制作されたとされる。ちなみに、いずれの作品も公募によってそのタイトルが決定された。

 これらは、仙台市内にあった建物の痕跡を今に伝えるものである。一歩間違えれば建物もろとも取り壊されていたところ、資金と手間をかけて救出した判断には敬意を表したい。しかも、両者ともに白色セメント製であることもそぞろみポイントである。これらが制作された1950年頃は、セメントによる野外彫刻が各地でつくられていた時期に重なる。前回取り上げたように、戦後に一時的に城跡に登場した伊達政宗立像もセメント製だった。しかしながら、セメントによる野外彫刻が現存している例は少なく、もはや貴重な文化財であることは間違いない。

 

柳原義達《集う―レジャーセンターの思い出》1952年頃
柳原義達《集う―レジャーセンターの思い出》1952年頃
柳原義達《和む―公会堂の思い出》1950年頃
柳原義達《和む―公会堂の思い出》1950年頃

 こうして運よく保存される作品がある一方で、いつの間にか失われてしまったパブリックアートもある。実は、今回の探訪では、関根伸夫が1973年に立ち上げた「環境美術研究所」ゆかりの場所を辿ることもひとつの目的に据えていた。この研究所では、野外彫刻やモニュメントにとどまらず、ストリートファニチャーに製作や広場や公園の設計にいたるまで、まちそのものに構成する様々な空間装置を生み出してきた。この一環として、1982年には、仙台おおまち商店街のゲート「ふれあいの門」を手掛けたことが記録されている[ii]

 これまでも気になってはいたものの、改めて現地を訪れてみたところ……残念ながら、既にその痕跡はなくなっていた。どうやら、1990年代にアーケードを改修した際に撤去されてしまったらしい。現存していれば知る人ぞ知る文化資源になったのかもしれないが、これはこれで仕方のないことでもある。と言うのも、「環境美術研究所」の仕事は、関根伸夫をはじめそれをつくった人の「作品」として提示されるものではなく、まちの風景に溶け込んでいくことにこそその真価が発揮されるからである。夕暮れ時、カラフルに輝くゲートを眺めながら、在りし日の姿に思いを馳せる。

 

おおまち商店街ゲート
おおまち商店街ゲート

気まぐれ読書案内

 

松尾豊『パブリックアートの展開と到達点 アートの公共性・地域文化の再生・芸術文化の未来』水曜社、2015年

 

戦後の野外彫刻を中心に、現代のアートプロジェクトにいたるまで、パブリックアートの歴史についてまとめられた一冊。もちろん、「彫刻のある街づくり」の章では、今回の探訪の舞台となった仙台市についても取り上げられています。1950年代のセメントによる野外彫刻についても紹介されており、基礎資料として大いに参考になります。

 


[i] 仙台市建設局百年の杜推進部緑化推進課(編集発行)『仙台市彫刻のあるまちづくり』2001年、p.85

[ii] 株式会社デザインキャンプ高橋雅之(企画・制作)『〈環境美術〉なるもの―関根伸夫展』川越市立美術館、2003年、p.92 

 

 

 

 

No.05仙台編(前編)<パブリックアート探訪記>No.07